静岡県危険物安全協会連合会|会報|第62号 2012.9

静岡県危険物安全協会連合会|会報|第62号 2012.9 page 60/82

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静岡県危険物安全協会連合会|会報|第62号 2012.9

☆☆☆ちょっとひといき☆☆☆太鼓は活力源静岡県危険物安全協会広報委員磐田市危険物安全協会副会長龍光純男私、1955年生まれで57歳になりました。学生時代は吹奏楽部に所属し、ドラム(パーカッション)を担当しておりました。高砂香料に入社後も、太鼓と縁があったのか会社のブラスバンド部に呼ばれ、ドラム担当として練習・演奏会等、色々と楽しませて頂きました。又、入社当時磐田工場にはハワイアンバンドの愛好会があり、こちらの方にも声が掛かり和気あいあいに、楽しくドラムを叩かせて頂いた思い出が懐かしく思います。現在は、会社のブラスバンド・ハワイアンバンドの活動も終息となり、洋楽ドラムのバチを握る事は無くなりました。30年程前になりますが、地元自治会(磐田市見付)で、屋台及びかつて奏でていたお囃子を復活させる活動が浮上しました。当時は笛・太鼓を演奏出来る人がいなくて、役員であった兄の要請で運悪く私が笛・太鼓を修行する羽目になりました。三社囃子で有名な横須賀町の太田師匠の門を叩き、弟子にして頂き稽古に励んだ事は懐かしい思い出です。現在に至っても三社囃子の笛・太鼓は趣味として楽しく継続させて頂いております。最近は、大きな和太鼓を並べての創作太鼓を打ち鳴らすという楽しみもさせて頂いています。現在30人程の会員の皆さんと定期的に練習・演奏会に参加したり、楽しく活動をさせて頂いております。会社では責任ある立場で常にストレスとの戦いの中、若い頃より慣れ親しんで来た太鼓のバチを握り太鼓を叩く事により、仕事への活力源となっていると確信しております。年老いてバチが握れなくなる迄、太鼓を精進して行きたいと思います。-55-